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みょうがむら 〜名前の由来〜

このページでは、村の名前の由来、村の名前になっている“茗荷(みょうが)”の名前の由来をご説明いたします。

“その人の一番良いところを認め、
それぞれが「わたし」を生きていく村”を目指して

東北茗荷村は、日本における知的障がい児教育の先駆者の一人でありました田村一ニ先生(1909~1995)の思想から始まった“大萩茗荷村”を元としています。茗荷は、普段の食卓でも目にする薬味として馴染み深いものですが、田村先生は、茗荷の名前の由来となった事柄から学ぶものが、福祉や社会全体のあるべき姿と重なる、と感じていたのだと思われます。

茗荷の名前の由来の一説には、お釈迦様の弟子の一人、周利槃特(しゅりはんとく)のお話があります。
簡単にいうと、
・茗荷は周利槃特の墓から生えてきた植物の名前。
・周利槃特は自分の名前さえも覚えられず、名札をつけていたところから「名前を荷う」という字を当てられた。
ということです。

周利槃特は、古代インド・マガダ国の大富豪の娘と下男との駆け落ちという複雑な環境で生まれました。資質聡明だった兄とは対照的に、読み書きは苦手で、計算などもできませんでした。現在で言うところの知的障がい者であったとされます。
兄の勧めでお釈迦様の弟子となります。悟りを求める心は人一倍ありましたが、お釈迦様の話を聞いても理解できず、すぐに忘れてしまいます。自分の名前を忘れてしまうほど、ものを覚えるのが苦手だったのです。
お釈迦様は自分の名前くらいは忘れないように名荷(名札)をつけさせました。しかし、周利槃特は名荷をかけたことさえも忘れてしまいました。

兄は見かねてお寺から追いだそうとしました。周利槃特は「自分は愚かだ」と言いながら去ろうとしますが、それを見つけたお釈迦様は「好きなものは何か?」と聞きました。周利槃特は「掃除が好きです。掃除ならできます。」と答えました。
お釈迦様は「自らの愚を知る者は真の知恵者である」と言い、周利槃特に一本のホウキを与え、「ちりを払い、あかを拭わん、と唱えながら、毎日、隅々まで掃除をするように」と言いました。

周利槃特はそれから毎日、掃除をしました。
ちりを払い、あかを拭わん…。しかし、綺麗にしてもまた汚れていくので、「ちりとは何だろう?あかとは何だろう?」という疑問も浮かんでいきます。
ひたすら掃除をしました。辺りが綺麗になっても掃除を続けます。

何年もたったある日、「汚れが落ちにくいのは人の心も同じだ」「汚れても掃除を続けることが大事なこと」とお釈迦様の考えを理解し、悟りを開いたと言われます。のちに周利槃特は、十六羅漢という、仏教において特別な聖者の中の一人にもなりました。

周利槃特の死後、彼のお墓に見慣れない草が生えていました。死ぬまで自分の名前を覚えることはできなかったため、「彼は自分の名前を荷って苦労してきた」ということで、この草に茗荷と名付けられたそうです。

このお話は、私たちに色々な気付きを与えてくれます。人それぞれが平等に活き、輝くような、まさに私たちが目指す村(コミュニティ)を象徴しています。

一般社団法人 東北茗荷村をつくる会

東日本大震災後、滋賀県の障がい者福祉組織「大萩茗荷村」の精神のもと有志が集い、宮城県を中心に「命を中心に置いた生活と仕事の場を創出し、健康長寿に生き、輝いて暮らすことが出来る村(コミュニティ)創り」を行っています。

事務局

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